新しい家族
メキシコ、サカテカスにて。
2年前、ペルーで出会った友達に会いに行った。
その道のりは遠かった。
朝に大きな街のバス停に着き、友達のいるモンテエスコベードという町へ行こうとしたら直接行くバスがなかった。その近くの町まで行くバスならあるよ、と言われ、そこからモンテエスコベードに行くバスはあるのか聞いたら、「そこに着いてから聞いてみたら」と言われた。
不確か。
まあどっちにしろそれしか道はないと思い、バスに乗り込んだ。
携帯のマップを見ながら降りるべき最寄りの町の入り口あたりに着いた時、バスが止まった。
そこはただの曲がり角。一人の年配の女性が降りていったので、その女性が運転手に止まるように頼んだのだろうと勝手に思い込んでいた。海外では地元の小さいバスなんかは各々が好きな時に降りるなんて良くあることだったから。しかも止まったのはバス停でもなんでもない曲がり角。町の中心までは遠くなかったけど、地図でバス停があることを確認していたので、そこに着くまで乗っていようと思った。
少しの間ぼーっとしていて、バスが止まる気配がないことに気づき、マップを見たら町を通り過ぎていることに気づいた。運転手に「さっきの町で降りる予定だったんだけど」と言っても、「次の町まで乗るしかないね、一本道だから止まれないし」みたいなこと言われた。スペイン語でなんやかんや言ってるけど、呆然として全く頭に入ってこない。そもそも完全に聞き取るスペイン語力がない。その間もどんどんバスは進んでいく。
ようやく道幅のある所に止まって降ろしてくれたけど、そこは町と町の間の何もない道。
携帯も圏外。
ヒッチハイクしようとしたけど、誰も止まってくれない。
(海外でヒッチハイクしたことなかったけど、人はそれしか手段がないと思った時、何の躊躇いもなくトライするもんなんだと実感)
歩くしかないか。
もう持ち物全部放り投げて寝転んでやろうかって思うくらい面倒くさくなった。
30分ほど歩いただろうか。携帯の電波がギリギリ入ったのですかさず友達に電話した。
降りる予定だった町まで迎えに来てくれる、と。
また電波が途切れたが、トンネルの先に光を見た感じだ。
結局2時間ほど歩き、友達が迎えに来てくれたら疲れも一瞬で吹き飛んだ。
諦めずに歩き続けてよかった。人生捨てたもんじゃない。
その小さな町に住んでいるのだろうと勝手に想像していたのだが、町で再会してから僕を乗せて車はどんどん町から遠く離れていく。
そして着いたのは牧場。ドがつく田舎。携帯の電波さえ届かない。でもインターネットがあれば携帯ばかり触ってしまうから、デジタルデトックスには最高の場所だった。
家族は温かく僕を迎えてくれた。コロナもあってあまりゲストとしては好まれないタイミングではあるのだが、それも気にせずに受け入れてくれた。
毎日景色を見ながらぼーっとしたり、散歩したり、キャンプしたり、何もすることはないけど、不思議と退屈はしなかった。むしろ町にいる方が退屈してしまうくらいに思えた。
景色に圧倒されて言葉を失う。ただ自然の中にいる幸せ。いつまでも見てられる。
こんな場所に住める経験もなかなか出来ない。つくづく自分はツイてるなと思わされる瞬間だ。
母国以外でこんなに本当の家族みたいに過ごせること。本当の家族よりも愛を感じるくらい。
二週間ほどここで過ごした。またいつでも帰ってきてねと言ってくれた。
別れ際もハグできた。今はコロナの影響でハグをしない人が増えたから嬉しかった。これが欲しかった。僕が求めていた温もり。
メキシコはとことん僕を魅了していく。人も景色も食べ物も。
コロナ
あっという間に世界って変わってしまうもんなんだなって。
ついこの間まで
「日本人ってよくマスク付けてるけどなんで?」
って外国人の間ではよく不思議がられていたのはよく聞く話だったのに、
今では世界的にみんなマスクしている。
ちょっと前まではあり得なかった光景が
今目の前に広がっている。
町によって若干マスクしてる人の割合が多かったり少なかったりするけど、
大体どこの店も交通機関もマスク着用が義務付けられている。
ここ二週間は田舎に滞在してたからマスク付けてる人の方が少なく、今日街に戻ったから、ああそういえばマスクしてたなって思い出した。
この前道を歩いていたら。10mくらい先に年配の女性が歩いていて、
振り返って僕がいることに気づき、
「あなたがいるのに気づかなかったわ。近づいてこないで。」
って言ってた。
恐怖に冒されている人もいるし、そんなに気にしない人もいるし。
人はみんな違うし受け止め方は人それぞれだから、
それも理解しないといけないね。
コロナウイルスが変えたことってなんだろう。気づかせてくれたことってなんだろう。
全てのことに意味があるとしたら、僕らはこれから何か学ばないといけないのだろう。
ステイホームのおかげで何か新しい技術を身につけた人もたくさんいるのではないだろうか。
僕は相変わらず旅を続けているわけだけれども。
何かから逃れているのか、何かに向かっているのか。
わからなくても旅は続く。人生は続く。
コロナが旅を難しくしたのは事実、でも不可能ではない。
いつまでこれが続くんだろうと考えるとなんか気が重くなるけど、
もう一度コロナのことなんか忘れてしまった世界を見たいから
それまでは我慢。マスクだって面倒くさいけど仕方ないね。
どうかみなさんも気をつけて。
考える人
いつも先の予定ばかり考えている。
あんまりじっとしてられない質なので
行先、移動の方法、宿、などなど常に調べている。
あの高城剛さんが「多動症」と言っていたけど、僕はまさにそれだ。
いくら居心地が良くても、3日も経つとどこか別の場所に行きたくなる。
バックパッカーには沈没型とか言って、気に入った場所に数週間や数ヶ月滞在するタイプの人もいるが、僕は完全に移動型。
好きでやっていることだけど、なんでこんなにも考えることが多いんだろうってたまにうんざりする。
どこへ行ってどれだけ滞在するも自由。
自由すぎるのってそんなに楽じゃないなって思ったりする。
そして考えるのってすごく疲れる。
詰まるところどうでもいいのに、どうでもいいことを真剣に何時間も何日もかけて考える。
どこに行ったってそれなりに楽しめる。
ここに来るんじゃなかったなとか、あっち行っとけばよかったかなとか、多少の後悔はあるけど。
でも旅が終わってみたら、そんな小さなことは忘れている。結局楽しかったことばかり覚えている。
ある場所に行き、そこで出会った人におすすめの場所、新たな情報を得て次の場所が決まるから、そうやってうまい具合に流されていく。先のことなんてわからない。それがきっと楽しいのだろう。
そんなジェットコースター的人生。
数年前はそれこそ自分がこんな風になるなんて想像もしてなかったのだけれど。
陸路の国境越え
だいぶ前の話。
アメリカからメキシコでバスで国境を越えるとき。
バスでアメリカ側のイミグレに着いた時、バスの中に係の人が乗って来て乗客のパスポートを確認していた。僕以外はみんなメキシコ人らしかったので、みんなはパスポートを確認されたあと、すっと降りていった。
で係の人が僕のパスポートを見て「これ預かるから」みたいなこと言って先に降りていった。
まあどうせ国境を越える際に通るしそこで受け取るもんだろうと思っていたから、特に疑うこともなくパスポートを渡した。
バスを降りて建物の中に入り、どこでチェックされるんだろうなって思いながらそのまま進んで行ったら出口まで来てしまった。おかしいなーって思って戻ってそこらへんの職員の人に「パスポート預けた人がどっか行ったからパスポート返してもらってないんだけど」って言ったら、別の部屋に案内された。
その部屋には他にも何人かいて、見るからに密入国しそうな人たちばかりだった。(見た目で判断してごめんなさい)
僕もその中の一人、言ってしまえば国境でパスポートを持っていない身元のわからない不審者だ。とりあえず待つように言われて、ちょっと立ち上がろうもんなら「座りなさい」ってすぐに言われるし、トイレも許可を得て一緒に職員がついてきてもらわないといけないし、携帯もさわれないし、ただ座って待つしかなかった。
このままパスポートが見つからなかったら僕はどうなるんだろう。
そんなこと考えながら1時間くらいは待っただろうか。
時計もなかったし、実際どれぐらい待ったかわからないけれど。
ついに彼らがパスポートを見つけて持ってきてくれた。
はぁーー。安堵のため息が漏れる。
でも体感時間は2時間くらい。どれくらい待つかわからないことほどストレスフルなことはない。
バスはメキシコの先の町までいくはずだったけどもちろん置いていかれたし、出口のすぐそこにあったバスの運転手にそのバスに乗せてって言ったけど、チケットがないとダメって言われて、でも粘って現金を渡してなんとか乗れた。
結局本当はどうすればよかったのだろう。僕がパスポートを渡した人は確かに制服を着た職員の人だったはずだ。もう数年前のことなのでうろ覚えだが。
パスポートは決して肌身離さず持っていること。
それが今回の教訓だ。
それ以来陸路の国境越えはいつも緊張する。
今まで旅中そんなに危ない目には遭ったことはないけど、わりとピンチだと感じた事件の一つだ。
セカンドホーム
メキシコ、オリサバという町。
僕はかなりのレビュー信者で、いつも行く先のレストランやホステルのレビューとコメントを必ずチェックする。
今回のホステルも見た感じ評判が良かったので楽しみにしていた。
でも想像以上だった。
迎えてくれたのがこちらの夫婦。
着いてからすぐにずっと話が弾んで、街を見て回ろうと思ってたのに夜まで話し続けた。
もう家みたいにリラックスしていた。
話を聞くとコロナの影響でずっと閉めていて、つい先週再開したとのこと。
僕が唯一のゲストだった。
日本のことも興味津々でいろいろ聞いてくれるし、僕もメキシコのことが大好きだからいろいろ聞くし、一緒に料理したり、ゲームしたり、どこにも行かなくてもずっと楽しめた。
ご飯も一緒に食べるし、お孫さんが日本のことが好きだから会いにきてくれたり、息子さんからもFacebookでメッセージが来たり、もう家族ぐるみの付き合いみたい。本当の家族みたい。ホステルに泊まっているということをすっかり忘れていた。むしろホームステイをしている感じ。こんなホステル初めてだった。
自分の第二の故郷を見つけること。自分のホームを見つけること。僕の旅の目的はこれに尽きるんじゃないかなって気がした。自分の国以外でこんなにも居心地よく安心して過ごせること。こんなにも幸せなことはない。ずっとこのまま長居できそうだったから、逆に早めに去る事にした。まだまだ行きたいところがあるから。
いくら旅が楽しくたって、精神的にも肉体的にも疲れは何かとたまっていく。でもそんな時こんな場所を見つけると体も心もチャージされて、また旅を続けるエネルギーをもらえる。また帰る場所を見つけられたことを幸せに思う。
最後に「日本に行ったら絶対使えるよ」と言って、大事な日本語を教えといた。
Meccha onaka suita
アメリカ人
アメリカに来て気づいた大きな文化の違いの一つが
世間話。
アメリカ人はよく喋る。誰とでも喋る。
スーパーのレジの人と、レジで並んでる後ろの人と、散歩中に会った人と。
空港で飛行機を待っている時、一人の青年の隣にその母親くらいの年齢であろう女性が座った。青年が「そのカバンいいですね」って言ったらそこから話がどんどん膨らみ結局一時間くらいは話していた。
僕がスーパーで買い物していたら、同じ商品棚を見ていたおじさんが「妻に頼まれた買い物のリストがあるんだけど、ここにある商品は種類が多すぎてどれが妻の欲しいものなのかわからないよ、ハハハ。」
アメリカ人の友人とレストランに行った時、彼が店員さんに「どれくらい働いてるの?出身は?どうしてここに引っ越してきたの?」などの質問を気兼ねなくしていて、店員さんも自分のことを包み隠さず話していたのを聞いて、なんかいいなって思った。
話は変わるけど、
ニューヨークに行った時、通行人に道を尋ねられた。しかも二回も。
人種の坩堝と言われるアメリカ。アジア人だろうと誰でも地元の人になりうるんだなって実感した時だった。ニューヨーカーになった気がしてちょっといい気分だった。
いろんな人がいるから誰もジャッジしないし、素のままの自分自身でいられる。個性も多様性として受け入れられる。垣根なく誰にでも声をかけられる。
そんなアメリカが僕は好きだ。
ブログ再開
長らく書いていなかったブログをまた始めてみる。
日記はずっと書いてるし、思ったことをたまにノートに書き留めたりもするんだけど、
俺の書いた記事なんて誰が見る、なんてことを言い訳にして書くことから遠ざかってた。そもそもブログの存在なんて忘れてた。
何かやらない自分を正当化することに関しては無意識にみんながやっていることではないだろうか。
今はカリフォルニアのサクラメントの郊外に滞在中。
ブログ再開のきっかけは、友達の一言。
彼とは昨年スペイン巡礼で出会った。
64歳とは思えないタフさ。僕より歩くの早いし、半分以下の年齢の僕と同じ距離を平気で歩くし。自分が彼の歳になったら同じことができるだろうか。やはり日頃から、若い頃からエクササイズするのは大事。
彼も旅している時はブログを書いていたらしい。そして思ったより多くの人がブログを読んでいることに驚いていた。それがモチベーションにもなった、と。
「こんな状況の中でも旅をしている君はラッキーだ。だから君はその経験をみんなにシェアすべきだ。多くの人が経験できないことを君は経験している。多くの人が見れない景色を君は見ている。」
確かにそうだ。僕は恵まれている。
今で言えば日本のパスポートはコロナ状況下でも強い。
例えばアメリカ人は現在ヨーロッパには行けないが、日本人は行ける。
日本で1日働けば稼げるお金を、1ヶ月必死に働いてようやく稼げる国の人たちもいる。
誰もが夢見る世界旅行。そんな貴重な経験を独り占めするなんてずるいよな。
Sharing is caring。僕の大好きな言葉。日本語に訳すとしっくり来ないけど、分け合うことは相手を思いやること、みたいな感じだろうか。
Youtubeもいいけど、(実際かじってもみたけど)、自分には画面やノートに向かってコツコツと書く方が性に合うみたい。誰にだって何にだって相性はあるからね。
最近 夢をかなえるゾウ4を読み始めた。主人公がブログを書き始めて、多くの人が記事を読んでいることにびっくりした、という内容があって、ドンピシャ。まさに僕の友人がつい数日前に言ったことと同じじゃないか。こういったシンクロはたまに起こる。これはブログを始めろというサインなんだと受け取って、今書いてる。こういった出来事があると迷いなく人は何かを始める、行動を起こすことができるのではないだろうか。偶然とは思えない一致。偶然にしては出来すぎてるタイミング。
少なくとも書くネタがある限りは続けていきたい。
どこまで続くだろうか。何か変わるだろうか。
続けた者にだけ分かる世界があるんだろうな。