LCCなんて
リマ
警官がめちゃいる。
あちこちにずらーっと。
守られてる安心感よりそんなにこの地域危ないの?っていう不安の方が強い。
6年前に見た景色。特に思い入れのある場所ではないけれど、この遠い国でまた同じ景色を見ることが出来たのは何か感慨深いものがあった。
でもこの辺りは治安が悪そう。
なんか危険な空気は肌で感じる。常に誰かに狙われてるような。自然と競歩並みの早足になって、落ち着かなかった。普段ガードが緩めな自分もこの時はなんか緊張してた。
ただ少しスリルを求めている自分がいるのも事実。でも安全な地域に戻ってきたときの安心感は余計に大きかった。生きてることに感謝できた。
今のところ何も盗られてないし、とりあえず無事に旅を続けています。でも気は抜かずに最後まで命と財布とパスポートは守り抜く。
ともだち
ペルー人の友達。
その国の人と知り合いになるまで、その国って自分の中で架空の国のような存在でしかない。
たとえばこれから行くボリビアとかだって一度もボリビア人に会ったことないし、ましてや足を踏み入れたこともないから、想像もつかないし、イメージさえない。
そして未だに違う国の人が同じ言葉を喋ってるのが不思議にちょっと思う。南米はほとんどスペイン語だし、国境を越えても同じ言葉が続く。アクセントとかの違いはあるけど。
日本から出てもまだ日本語を喋る国があったら…と想像してみる。なんか変な感じ。
言葉が同じだとある程度振る舞いとか気遣いとか性格とかも似てるんだろうなー。
たまに自分が日本人って言っても相手に何語喋るの?中国語?って聞かれたりするから、遠い国の人からみたら日本も中国も同じようなもんなんだろうなと気づかされる。
世界は広いなぁ。
流れに乗って
クレイジー
長距離バスでの移動中。
通路を挟んで1人の男が映画を見ながらめちゃ騒いでた。たぶん映画にいろいろつっこみ入れたり大袈裟なくらいリアクションしてた。
ほぼ酔っ払ってるくらいのテンションで。
実際酔っ払ってた。
うるさいなーって思いながらイヤホンで耳塞いでたら
自分にも絡んできた。あんまり関わりたくなかったから適当に流してたけど、それでも絡んでくるから、仲良くなってみた。
そしたらそんなにウザくなくなった。
その男の後ろにも母親と息子と思われる別の乗客もいて、その人たちにも男は絡んでいた。でもその2人も男に対して意外と感じよく接していて、一緒に笑って話したりしてた。なんかちょっと感動した。
これも一種のカルチャーショックというか、
明らかに迷惑に思われるような人と、拒絶することなく、たとえ上っ面でも仲良く会話できるなんてすごいなって単純に思った。
しまいにはみんなで一緒に写真を撮った。
もちろんその男の行動は決して褒められるものではないかもしれないけれど、自分単位で考えたら、その場をより不快でなく心地よい時間を過ごすには、長いものに巻かれるじゃないけど、その場しのぎの対応も必要なのかなって。
赤の他人の行動ってちょっとしたことでイラッとしたりするけど、ちょっと話して知り合いになると不思議とあんまり気にならなくなる。
ちなみにその男とはバス降りた後の目的地も近かったのでしばらく一緒に行動した。
ちょっと前の話
コロンビアにて。
現地の人と友達になって、家に招待してもらった。4.5日滞在した後、もうすぐお別れだねなんて話していたら、友達が泣き出した。
今まで友達と別れるとき辛かったことはないの?って聞かれた。その質問が妙にグサっと来た。彼の目には、感情の鈍い人間に映ってしまったのかなって、一瞬思って。
寂しさの温度差はあるにしろ、自分だって悲しいけど、旅という性質上出会いと別れを多く繰り返すたびに、別れに慣れてしまったのかなって。でもそれは決して感情が無いとかではなくて、また出会えることを知っているから別れが辛くなくなっただけだと思ってる。旅をしていくには精神的な強さだって必要だ。泣いてばかりじゃいられない。
涙を堪えた数だって強くなれるんだ。